そうさなぁ・・・
余命を宣告されちゃうと、その気になっちゃう人がいるんだよね。忠実なんだと思うよ。
余命キッチリで、、、って思いこんじゃう?
それとね、信じない人ね、
正直、ここを書いている人間は後者でした。
いま思うには、だよ。
いまだよ。
いま思うには、どっちも間違いなんじゃないかな?っていうふうに思い至るんだよな。
だからね、これからも気が付いた余命のことは書いていくけれど、いまその真っただ中にいる家族の人は、信じるなってことじゃなくて、余命を宣告した主治医は、過去の医学データと意思としての教育から宣告しているってこと。なんだということを頭に入れておくことだと思うんです。
うちの家内の場合などは余命3か月で宣告されたのですが、ぴったり1年延ばしましたよ。
その遺りかもしれない月日ばかりを思いやんでも良いことないです。
それよりも動けるうちにいろんなものを探しに行ったらどうなんでしょう?って思うんです。
ちょっと1年前くらいまで読者から話を聞いていましたけど、
「病院のベッドでおとなしくしていればいいのでしょうか?それとも・・・」
答えは1も2もなく後者で、どんどんやりたいことをやったらいいです。看ている家族は大変よ。だからといって無理やり止めたりしたら、今度はその後悔があなたに乗り移るんだと思うよ。
それこそ太く短くか、それとも、、、という選択なんですよ。
たった1点にすべてのエネルギーを注ぎ込むか?
どうするか?
ここ家族?看ている人が間違ったらいかんと思うんです。
そういうことだね。
これから暖かい季節がきますよね。春、夏とね。
本人はものすごく真剣に考えているはず、それこそ命を賭けて考えているんだ。と考えて、「
徒(あだ)や疎(おろそ)かにしてはいけないよ。
ってことですね。
余命のことは深刻に考えすぎないようにしつつ、やりたいことをやらせてあげるための期間が少し見えてきた。(見えてきてしまった)ということなんです。
なにか計画があるなら急ぎましょうね。
余命というのは、
ものすごくあいまいかもしれないけれど、
人間が長い年月のうちに様々な知見と考察、研究、統計から導き出した命数ということです。いってみれば、神のみぞ知ることを人間の知能で伺いできるようになった残された日々ということですよ。
だから数か月なんです。それ以外は5年生存率という言い方ですよね。
そこを気を付けて。
ではまたね。
がんばりな!
もし旅を計画するようなことが訊いてみて。