テレ東の「YOUは何しに日本へ?」を見ていて思い出してしまった。
余命1年を宣告されたお父さんの話、「11歳の息子に伝えたい父の想い」を見ているのです。
見終わったら《やもめのモアイ》の思い出の話を書こうかなと想いまして、言ってみれば予告です。
続きです
実は《やもめのモアイ》も同じような癌の旅に行ってきた経験がありましてね。
こういう話はキャンサーノートというブログにさんざん書いたんです。
でも、癌という話とそこから当然のごとく起こるであろう余命宣告の答えを書くことが、いま現在進行形で癌と闘っているであろう読者さんもいることを考えたときに、このブログ(キャンサーノート)では書くまいと考えたんです。だから、なんかね放置になってしまっているんです。
だからその結果が出たあとになるこちらのブログに残すことにしたんです。だいぶ時間は立ちましたが・・・
病人本人ではなくて、看病、看護をする立場の家族(夫婦)として書いていきますね。
参考になったら良いな。
しばらく書き続けますので徐々にいつのまにか追記されているような記事になります。
最期の思い出の旅、行くかあきらめるのか?
最初に書いておきます。
彼女はこの旅を終えた3ヶ月後に逝きました。
いま思えばなのですが、あのときに支える者として強制的に中止せず実行する決断をしたことを良かった。 そう考えます。
当時、たびに行くか行かないか?と悩んでいるときには最期だとまでは思っていなかったのです。当然ですよね。本人だって私だって「死ぬかも」などと予想もしていないのですから、ただ心配なことは旅先で病状が急変したら・・・どうしようか・・・
当然医者(主治医)には反対された。
そうですね、当然です。
お医者さんだって責任取れませんもんね。
GOサインは一切出ませんでした。
最終判断は私がするしかなく、本人はもう命がけですから、とにかく行く!としか言わないわけです。そうなるとサポートしながら背中を支えながら連れて行く私の決断にかかってくるわけで、私が行かない。と決断すれば彼女だって逝けないわけです。
この決断は大きな大きなものでした。
で、主治医の先生に手紙を書きましてね。つまりは責任は私にありますので行かせてください。って内容でね。
そしたら点滴を持参して外泊中宿では点滴を打って安静にするという条件のもとにOKが出たんです。で、あの重い点滴4つも5つももって行ったんですよ。
で、いまその時の決断をどう思っているかと言いますと、まったく後悔もしていませんし、それどころか行かせてやれて良かった。
それが結論。
だってひとりの人間が自分の命の期限を短くしてしまうようなことになったとしても「行きたい」と願っていることをもし阻止するようなことをしていたら、いまの私の生活も生き方も全く変わってしまい、もっと薄暗い生き方になっていたのかもしれません。
死に至る病になると叶えたい夢がどんどん小さくなるものですね。
最期の最後に決めるのは病の本人なのです。
命を賭ける本人が決めるしかなくて、その覚悟を背中から支える覚悟をあなたができるかどうか?それだけなのです。
実録・最期の旅
最期の旅だからよくよく考えて準備をする
最後に、「考察:癌とどう向き合うのか」一つの提案
あくまでも筆者《やもめのモアイ》として提案であって、もし筆者が彼女と同じ癌を患うようになったらこの方向を選択するのではないかな。というあくまでも《やもめのモアイ》の個人的な選択肢です。
余命宣告された癌
後ろ向きメンタルとの対峙
ホメオパシーという心理戦
書いたり消したり数日かかるかも、でも最後まで頑張る。
あのお父さんの気持に打たれたからね。