自分の残りの寿命を確信してしまった人間とまだ先が見えない生き残ってしまう遺族の思いの違い

看病夫婦

自分の残りの寿命を確信してしまった人間と、まだまだ先がありそうだ、寿命などというものさえも考えられない者の違い!

 

久しぶりに病院の主治医から外泊許可をもらえて自宅に戻れたある日のこと。

 

キッチンのレンジの前に椅子を持ち出して、料理を始めた。

立ちっぱなしの台所ってけっこう疲れるんだよね。

凝った料理だと2時間くらいすぐにたってしまう(いまなら分かるよ)

 

 

「そんなことは、俺がやるから・・・」といっても聞かない。

自分の先のことなど見えていない者としては「俺がやったほうが早いのに・・・」

出来るだけ休んで欲しい、、、しかし、それは単に時間を先延ばしにしようとする姑息なだけの考えかもしれないよ。

 

 

そうじゃないのだ。

作ってやりたいんだよな。

いまなら分かるけれど、頭だってそうとう判断力などもうまく働かないはず、それでも頭をかしげながら、口を半開きにしながら一所懸命というよりも必死に作っている。

 

そのやせ細った腕で鍋は持ち上げられんだろうよ。

でも、やめない。

 

作ってやりたいんだよね。

子供たちに、

 

覚えていて欲しいんだよね。

母親の味、

その姿。

覚悟したんだろうな・・・

 

 

最後にやれることをしてあげたいんだよね。

「女って、母親って、すげえな」

そう思った。

初めて、初めてかな・・・

素直に女、母親というものを尊敬した。

 

 

あのときの姿は、まだ忘れない。

 

なんてことを寒い今日、こっちでも雪が降りそうな今日、豚汁を作りながら、

思い出したよ。

 

 

じゃぁ、、、またね。

風邪ひくんじゃねえぜ!