いつか認められるかもしれない治療法なのかもしれないよ。

もうね、《民間療法は悪》のような認識が拡がっているよね。

確かね、選びようがないくらいの玉石混交なわけでそれも《玉》はめくちゃ少ないのだと思う。それこそ千に一つかもしれない。だから実際に《玉》があったとしても見つけることは不可能に近いよね。

ましてや時間がない、ないことを知らされてしまったわけだから焦るのも当然のことだろうし、そこにつけこんでくるビジネス目的の人々が群がってくるわけで、その人々の向こうを透かし見るのも難しい。そう思うよ。

それでも探したいよね。

本人にしても家族にしてもさ、探したいよ。

なんとか見つけたいよ。

それというのも現在の癌の治療技術を考えるとそうなっちゃうさ。

だって、癌の治療ってステージ1とか2の初期の内に発見して治療しちゃいましょうって方向でしょ、とすると末期と診断された患者はどこに行ったらいいの?ってことになっちゃうじゃないですか?

モアイもですね、妻の癌のときから思っていたことなんです。

妻は医療関係、つまり看護師でしたから、疑いもなく通常の癌治療を受けましたよ。

その結果があれですからね。

で、その後も関心をもって注目しながら学び続けていくと現代の癌治療ってまだまだ未熟なんだよね。って思う。

しかたないよ、仕方ないことなんだよ。研究も進んでいるのだろうけれど、人類の進歩はまだそこまでなんですよ。

だから、たくさんの人が研究を続けているわけでね。

あと100年もすればもしかしたら・・・ってことなんでしょうね。

モアイはそう思っていますよ。

そういうことであれば、どういう治療を本人は望むのか?ってことで、あとで後悔することもあるかもしれないですが、あくまでも選択は本人の決断でなければいけないと思うんです。

それでだめだったとしても、誰にも責任はないし、誰にもその遺族や関係者を責めてはいけない。いや、責めても仕方がないんじゃないかな。

とそう思うんですね。

先日、有名なかたが亡くなった話題でそう思ったんです。

神はサイコロを振らないかもしれないけれど、私たちは常に振っているんですよ。

いつものように筆者モアイの個人的感想ですよ。

そう考えたら「自分の時にはどういう選択をしようか、することになるか」少しは考えておきたいな。とも思いますね。

ではまたね。